甲子園選抜大会、開催!!②

前回の続き・・・

基本的には甲子園での選抜交流試合の開催は大賛成です!!

少しでも子どもたちがこうやって活躍できる場があることは

本当に子どもたちにとってこの上ない幸せだと思います。

「甲子園」で試合をすることが目的なのか

でも、本来の目的ってなんだろうって思います。

甲子園の出場権をもった学校が、甲子園で試合することができることなのか・・・な。

本当に大人たちが知恵を絞って仕組むことって

出場権をもった32校が、甲子園に集まってパーティーをすることなのか。

甲子園を目指して3年間頑張ってきた子どもたちは

もーーーーーーーーーーーーーーーーっとたくさんいます。

今回のコロナで大会がなくなって、子どもたちが悲しんだのは、

 ・今までの成果を発揮する場がなくなってしまったこと

 ・甲子園を目指すチャンスがなくなってしまったこと

だと私は思います。

負けて甲子園に行けなかった悲しみよりも

はるかに挑戦すらできなかったことが辛いんだと思います。

これだけを目指して親元を離れたり、いろんなことを我慢してきたのだから。。。

「あーあ、何のためにやってきたんだろ・・・。」

こんな部室での独り言が、いまにも聞こえてきそうです・・・。

じゃあ、私ならどうするか。

普通に地方予選をやって、優勝校が集まって1試合だけの交流試合を甲子園でやる!!

これが実現する努力をします。

今、各地方が、成果の発揮の場のために独自の地方大会をやるんでしょう

高野連は甲子園で1試合だけのセンバツをやるんでしょう

じゃあ、掛け合わせましょうよ!!

もちろん、授業数が減って予選の日程問題もあると思いますし、

練習不足の学校もあるでしょうし、

いろんな問題はありますが、そんなに解決できない問題ではないと思っています。

各都道府県で、子どもたちに「甲子園に挑戦する機会を与える」仕組みを作る、

これが子どもたちファーストなのかな。

子どものことを本当に想って仕組みを構築することが、

教育であって、大人の役割であると思いますね。

外野の私だから、無責任に言えることなのかもしれないですけどね(笑)

私が指導者だったら/今現場で起きていること

もう一つ今回の問題で、私がモヤモヤしたのは

「甲子園」の存在です。

わたしが高校野球の指導者だったら、

今年のコロナの一件で、どう子どもたちに接していただろう。

ある意味、自分の指導者としての能力が本当に試されてただろうと思います。

いきなり甲子園への挑戦権を奪われたとき

本当に辛いけど、どうにもならんことがある・・・

 今は辛いけど、前を向いて、いつかこの経験が良かったと言えるように

 これから頑張ろう。」

とでも私は言うのかな。いきなりそんなこと言われても

!?

ですよね(笑)

甲子園って、高い壁だけれど

甲子園があるから、指導しやすいんです、きっと。

「勝つために」

「甲子園に行くために」

そう言えば、子どもたちはきっと従うんです。

あるあるなのが

「ゴミを拾うんだ、甲子園に繋がるぞ!!」

「トイレを掃除するんだ、野球の神様が・・・」

みたいなことを言って、私生活の指導しますよね。

甲子園がなかったらやらんでええんかい!!

って話になっちゃいます(笑)

さらに言うと、

もしかしたら自分が甲子園に行きたいから、体裁よく子どもを動かすんですきっと(笑)

でも今年のようなことになった時、自分にも子どもにも何も残らない。

「あんなに頑張ったのに、自分の代は運がなかった」だけ。

でも子どもって、それでも指導者や大人の空気を読むから、

インタビューでもされた日には

   「悔しいですけど、前を向いて頑張ります!!」

とか

   「甲子園はないですけど、地方大会では、支えてくれて人への感謝の気持ちや

    少しでも世の中に勇気を与えられるように頑張ります!!

って言うんです(笑)

そんな心の整理、何年もかけてやっていいんやで!!(笑)

それに指導者や周りの大人はごまかされちゃう。

部活動の指導者が、今だからこそ振り返る

で、結局何が言いたいかというと

「甲子園以外の価値付けを普段から本当にできていたか」が

顕著に表れると思います。

きっと、コロナのようなことがなくても、指導者は、

「人間性を磨くんだ!!」とか

「野球が終わってからのために言うんだ!!」

とかは必ず言っています。

でも、最後の大会が終わった時に、

その点への指導者としてのフィードバックはほとんどしないと思います。

少なくとも、私を含めた周りの大人はそんなことはしていませんでした。

「勝てたか勝てなかった」とか、「あのときのスクイズが・・・」

とかは後悔したりフィードバックするんですけどね(笑)

そういう意味でも

今年の一件は指導者自身が、

自分の指導者としての本質/信念を見直すことになるんだろうなと思っています。

そういう感性をもっていたいと私なら思います。

きっと、指導者がそういう姿勢なら

なにかは子どもは感じ取っているはず。

子どもは、指導者としての自分を見る前に

無意識的に一番近くの大人として肌で感じ取っていることがたくさんあるから。

10年後にそれのなにかがわかって、完成することも教育ですよね。

まとめ

甲子園開催の一件から逸れて、

いっぱい書いてしまいました・・・(笑)

長すぎて読む気もなくなる文量とわかっていながら長くなってしまいました。

これに懲りずに

また読んでいただけますように。

あくまでも、1意見として何かに役立ってくださると嬉しいです。

May the force be with us!!

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